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2016年1月5日(火)に 愛知教育大学学術情報リポジトリ は正式公開7周年を迎えることができました。 日頃より,リポジトリをご支援くださっている皆様に心より御礼申し上げます。 正式公開7周年記念として,本学の音楽教育講座教授である新山王政和先生にインタビューを行いました。


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↑新山王先生


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研究者総覧(日本語)


高校生のための研究紹介
(音楽教育講座)




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↑インタビューの様子です

新山王先生インタビュー  2016年3月4日(金)
                     於:附属図書館事務室

■ 研究分野について

インタビュアー: 音楽の道に進んだ理由ときっかけについて教えてください。

新山王先生:  子どもの頃から音楽をやっていたからです。 私には兄がいて小さい頃ピアノを習っていました。兄がレッスンに行くときに一緒に行ってましたが, 私が興味を示さなかったので,どうせやらせてもと思われていて,最初は習わせてもらっていませんでした。 親が共働きだったので,保育園に預けられていたのですが,その保育園には音楽教室があり, 発表会なども充実したものをやっていました。小学校にあがって音楽につながらなくなってから, 自分から「ピアノを習いたい」と言って習うようになりました。それがきっかけです。 本当に音楽を始めたのは,中学校に入って吹奏楽部に入ってからです。最初はサクソフォーンと いう楽器を担当していました。今やっているファゴットにかわったのは高等学校からです。 両親は音楽とは関係のない職業でしたね。

インタビュアー: 私の小さい頃はピアノを習っているのは女の子ばかりというイメージでした。

新山王先生:  私の世代では,吹奏楽部に4割は男の子がいて,大きい金管楽器を当たり前のように担当していました。 しかし最近では女の子ばかりで,音楽の分野におけるジェンダー問題となっています。昔の日本には 「歌舞音曲(かぶおんぎょく)は男がやるものではない」という考えがありました。それが終戦後,男の子も女の子も色々な分野のことをしよう, ということになったのに,またいつの間にか「男の子が音楽をやるなんて」という教育が広がってしまっているのです。 音楽は女の子がするものという風潮は日本だけで,何とかしたいのですがどうにもならないですね。 実際,中学校で数少ない男の子がいても高等学校に入るとしなくなってしまいます。 ただ,大学生になるとどうかといいますと,私はうちの大学の吹奏楽団と管弦楽団の顧問をしていますが, 4割が男の子です。中高の時には,周りはスポーツをしているし,吹奏楽部を見学すると女の子ばかりだし, ということで入れなかった子が,音楽もちょっとやってみたいと入ってくるのです。 だから日本全体で男性がみな音楽をしないというわけではないのですが,なぜか小中高ではしないですね。 「なぜ音楽なんかやるの」という親御さんもいます。

インタビュアー: 親世代の考え方もあるのですね。

新山王先生:  親世代の考え方が変わったと思います。また,ジェンダーの問題を話しましたが,日本全体で音楽人口が減っています。 例えば,うちの大学も改組が終わって平成29年度から新しい組織になりますが,音楽・美術は改組をやるたびに小さくなります。 学長が理解してくださったので,30人と1削減でとどまりましたが,6年後の次の改組までに実績をあげないと, 減ってしまうでしょう。どの先生も「音楽も美術も素敵ですよね」と言ってくださるのですが付録のような扱いです。 私は自分の書いた本の中で「音楽はあらゆる教科の中心なのだ」と書いていて,本当にそう思っています。

 
図書の紹介:
book 新山王政和 『新しい視点で音楽科授業を創る! : 新学習指導要領を先取りした実践方法』改訂版. スタイルノート, 2011
 (CiNii Booksで検索)

新山王先生:  先ほど実績という話をしましたが,この場合の実績とは入試の倍率になってしまいます。音楽が人気があるかどうかといわれても, 音楽が好きでも一生の仕事にするかというと違う問題なのですよね。本学のように小学校の先生になるという場合は, 音楽で生きていくということではなく,小学校の先生として生きていってその中での得意分野を音楽にしたい, ということとなります。単純に音楽の受験生が多いか少ないかで計られると苦しいですね。
 音楽も色々な面をもっていますが,みんなでひとつのことを追究する,合唱,合奏,アンサンブルなどを体験してもらうためには, ある程度の学生定員が必要です。教育学部全体で数十人,音楽は数人という大学もある中, うちは減ったとはいえ音楽だけで30人以上います。合唱ができる,合奏ができる,と自分で調べて遠隔地から受験してくれる子もいます。 音楽大学に行くと,授業料は高額です。そうやって音楽を極めることも素晴らしいですが,自分はその後に学校の先生になりたい, という選択肢を選んだ場合には,愛教大は良い大学だということです。スケールメリットもありますし, 音楽のサークルも活発に活動しているのは,魅力ですよね。
 もっとも他大学の音楽の先生も好き好んで定員を減らしているのではありません。国全体がそうなっているのです。

インタビュアー: 芸術に対するこの国の考え方の問題だということなのでしょうか。

新山王先生: 日本の音楽レベルが低いかというとそうではないのです。国際的に活躍している演奏家はたくさんいます。 小中学校でお金をかけてやらなくてもできるだろう,それぞれ自分で先生についてやればいい,という考え方なのでしょうね。 ヨーロッパ,アメリカでは,自国の文化として国策として守っていこうとしているのですが。

 
■ 「おみやげ」が残る音楽の授業

新山王先生: 音楽の授業でどのようなことをやったか覚えていますか。

インタビュアー: 小学校ではガンダムをみんなで演奏しました。

新山王先生: 習うべき曲は指導要領で決まっていますが,ガンダムは入っていないですね(笑)。

インタビュアー: 中学校で印象に残っているのはシューベルトの魔王です。クラス全体が衝撃をうけたのではないかと思います。

新山王先生: 学校の先生がとりあげてくれないとその衝撃は一生出会えないかもしれませんよね。 大きな声で言うと怒られますが,理科・算数・英語は塾に行きますし,進学しようと思ったら放っておいても必要性を痛感して受験勉強します。 でも音楽はしないですよね。だからこそ小中高で色々なものに出会わせてほしいのです。
 よく小学校の先生とも話すのですが,音楽の授業で熱心に活動してくれる子はせいぜい6割で,中には全く歌わない子もいます。 でもいわゆる5教科も全国調査の得点率からすると60%くらいです。だからいつも全力で歌わなくても6割でもいいのです。 音楽への向き合い方は色々ありますので,歌わないから音楽が嫌いということではありません。 スポーツも見るのが好き,という人もいますよね。サッカーを応援するのに全員がサッカーのルールが分かってプレイできないといけないわけではありません。 何故,音楽では全員を参加させないといけないのか,と私はそういう目でみています。 でも熱心な音楽の先生になればなるほど,全員を歌わせてみせると頑張ってしまいます。そうするとマイナスのイメージを与えることになっていまいますよね。 もっと肩の力を抜いて,将来につながる「楽しい」を考えてほしいのです。今,先生が受け持っている1年間にリコーダーが吹けるようになるかどうかというのは, 先生の自己満足に過ぎません。その1年間にできなくても,会社の忘年会で何かやることになった時に,リコーダーなら頑張れるかなと思ったり, 定年後に歌えないでもいいからと合唱団に誘われた時にじゃあ一緒に歌ってみようかなと思ったり,将来何かするときに「おみやげ」として残っていればいいと 私は言っています。例えばしたことのないトランペットを吹いてみようと思わないように,習っていなかったら思いつきもしませんよね。 その場限りの楽しさではなく,達成感・成就感と,将来につながる楽しさが本当の楽しさなのです。

■ 音を楽しむ=音楽??

新山王先生: この話をすると,小学校の先生は「『音を楽しむ』と書いて音楽といいますよね。」とよく言われます。 しかし,この「楽」という字はfunkyというような「楽しむ」の意味は持っていないのです。現代漢字になるときに統合されてしまったのですが, 雅楽,田楽,猿楽などの使い方でわかるように「楽」だけで音楽の意味を持っていました。 日本での音楽は舞楽やお芝居や宗教的なものとセットだったのですが,明治期にアメリカやヨーロッパからはいってきた音楽には, 演奏者がステージでただ演奏だけしているという音だけの音楽がありました。それで,音だけの音楽ということで, 音楽(オトガク)とするようになったのです。楽しむとか楽をするとか,癒やしというような意味は持っていないのです。 ですので「『音を楽しむ』と書いて音楽」とは言わないほうが良いと言っています。

 音楽への向き合い方は色々ありますので,実際は演奏者側でも聞く側でも音を楽しんでます。 でも自分は良くても隣で聴いている人は耐えられないということもあります。今の指導要領は平成20年に出たのですが, 音楽の授業で音のマナーを教えること,というのが記載されました。最終的には聴いている人が楽しむということを大事にしないと, 音楽は成立しないですよね。独りよがりな楽しみだけだとつまらないよ,みんなで共有できて楽しいのだよ,と学生には話しています。

■ 音楽での言語活動 ~音楽に絶対的な間違いはない~

新山王先生: 知識教科といわれる5教科は,まずは自分の中でしっかり考えてみようと個にこもる指導をしますよね。 でも音楽は自分が何が好きで何が嫌いでどう歌いたいか,自分の言葉で周りに言わないと伝わりません。 バランスをとる意味では個にこもる授業ばかりでは駄目だと思うのです。 今,言語活動が重要だと言われていますが,知識教科の中での言語活動というのは正解に向かっての活動です。
 音楽には絶対的な間違いはありません。でも「その歌い方をすると,聞いていると気持ち悪いかもね」というのはあります。 そこで「なぜだろう,どうしたらいいんだろう」とお互いに意見を言いあう活動をするのです。 私もICレコーダーを小中学校で使っていただいて,みんなで合唱の録音を聴いてお互いに意見を言い合う活動をしてもらいました。

インタビュアー: 研究報告に掲載されている論文ですね。このような場で意見をいえる子というのは, 相当音楽ができる子ではないのかなと思うのですが。


新山王先生: それが中学生くらいになると,ピアノをずっと習っているとか,吹奏楽部でパートリーダーをやっているような子は, 間違ったことをいうのが怖いのか,かえって言わなくなってしまいます。そうでない子が「これでいいんじゃない」と発言し, そのうち音楽経験の高い子が黙っておれなくなって「駄目だよ,そんなのじゃ」となるのです。先生の持っていき方ですね。 また,私が実践しているのは,決して音楽レベルの高い子ばかりが集まった学校ではありません。誰かが思いつきで言ったことを, ただ駄目というのではなくて,何故駄目なのかをきちんと言ってグループ内で説得しあいなさい,という中で交流が出てくるのです。 一番うれしかったのは,校内授業研究会を見に来られた担任の先生が,「○○がこんなに発言する子だとは思わなかった」 「うちの男子がこんなに意見をいうとは思わなかった」と言われたことです。
 分からないけれども分からないなりに自分の意見を言ってもいいんだという雰囲気と場を作る。それに対して音楽的にレベルの高い子が, 馬鹿にするのではなくお互いに教え合う。最終的にはクラスで合唱をしないといけないのだから,思うようにいかないなら, こういう風に歌おうとか,こういう練習をしようとか意見を言い合いなさい,最終的には校内合唱コンクールで出てきたものが全てなんだよ, と意見交換を促すのです。今,刈谷の小中学校でもこのような活動をみんなやっています。

インタビュアー: 愛知県では以前からそのような活動がされていたのですか。

新山王先生: いえ,そうではないです。私はずっと実験系のことをしていたのですが, 教育大学なのだからもっと教育現場にかかわる研究をしようと,2000年をこえたくらいから実践しはじめました。 バリバリやる音楽の先生になればなるほど,子どもに話し合いをさせても何も生まれてこないから,指導したほうが早い, と上手にまとめていかれて,見栄えの良い演奏にされます。でも,それで子どもの中に何が残るのでしょうね? 抵抗は強かったですし,今でもそのようにおっしゃる先生はたくさんいます。 しつけて教え込んでというのは先生の自己満足に過ぎないです。先生の蒔いた芽が10年後,20年後,その子が定年した後の50年後, 例えば自分の子どもの合唱を聴いた時に,自分も中学生の時に歌ったなあと,思わず一緒に口ずさむことができたとしたら, その方がよっぽど素晴らしくないですか,という話をします。そんな風に1時間くらい話をすると分かってくださる先生は多いです。

■ 2つの震災と音楽

新山王先生: 新潟の地震の時に,ちょうど東京に学会で行っていたのですが,帰りに新幹線に乗ろうと思ったら, 待合室に中学生か高校生くらいの子がたくさん座っていました。何があったのですか,と聞いたら新潟で大きい地震が起こって, 新幹線が止まって帰れないのだということでした。皆,ディズニーランドの袋を持っていたりして本当に楽しかったのでしょうね。 その最後の最後でこういうことになって,自分達も帰れないけれど,家族はどうなっているのだろうかと不安だろうな, かわいそうだなと思って見ていると,その時にふっとみんなが歌い始めたのです。歌える子たちがどんどん混ざって歌っていく。 その時にその歌を歌えない学校もあるのですが,歌える子たちはお互いに学校や地域を越えて歌を歌って共有することができるのです。 こういう時に音楽がすごいんだなあって話をしていたら,東日本大震災の時もそうでした。
 明かりもない,とっても寒い,また津波がくるんじゃないか,という時に小学生からお年寄りの方までみんなで歌を歌って一晩過ごしたのだそうです。 こういうところで先生達がやった授業が生きてくるのです。「ふるさと」や「もみじ」は歌詞は出てこなくても旋律はなんとなく歌えたり, みんなの中にあるから,小学生からお年寄りの人までが一つのものを共有できたのです。 大変残念なことながら大きな災害にあったのですが,そこでみんなで歌う歌があったのです。その歌をきくと, あの辛かった時をみんなで乗り越えたということを思い出す,そしてまた頑張っていこうと思うのです。 人間,最後の最後に何かを乗り越えようとするときには音楽なのかなと思いました。

 一昨年,文科省の調査の仕事で,仙台の小学校に行ったのです。東京から来た人が「みんなのふるさとは?」ときくと 小学生が「海に流れて行きました。」と言って,我々は本当にびっくりしましたね。後から先生と話をすると, 親戚まで広げると,ほぼ全員の子が身内を亡くしているそうなのです。現実を現実として受け入れて, ようやく「ふるさと」「海は広いな」をみんなが歌えるようになりました,というのです。 先生達は,子ども達が現実をきちんと受け入れて,自分たちの中で乗り越えて,また歌えるようになったことが, 一番うれしいとおっしゃいました。なんだか涙が出ましたよ。

 また,子どもたちは,きちんと挨拶するし,とっても人なつっこいのです。「先生達の教育は素晴らしいですね」 と言ったらそこの校長先生が「違います。あの子たちは自分から関わりをもたないと,生き残れなかったのです。」というのです。 もちろん周りの大人達は手をさしのべようと努力するのだけれども,自分自身もそれどころではないので,東日本大震災を乗り越えた子達は, 自分で意思表示しないと生きていけなかった,素直に「ありがとう」ということを学んだ,ということなのです。 大学生でも自分の気持ちを言えない,感謝の気持ちを言葉で表せない子は多いですが,やはり言葉で言わないと伝わらないですよね。 音楽での言語活動の話をしましたが,5教科の授業の中であまりこういうことはないと思うのですよ。 音楽の中では音楽の聴き方とか受け取り方とか,好きといっても全部違うのですから, 口に出して言葉におきかえて言い合わないといけないのです。そういう面でも音楽の授業は大切ですよね。

■ テレパシーを使う日本人?

新山王先生: 話は変わりますが,海外から来た人と演奏することがあります。すると, 海外から来た人に「日本人はテレパシーを使う」と言われます。外国から来た指揮者が説明しようとすると, 説明しなくても「大丈夫ですから。そこお願いね。」で通じる。何故それで意思疎通ができるのかというのです。 日本人独特のあうん(阿吽)の呼吸というやつです。 外国の方の中にも,その阿吽の呼吸ができる人がもちろんいます。みんな言わなくても分かってくれるから, 自分はとても住みやすいと言います。 でも日本人の中でもそれができない人もいて,「日本人は何を考えているか分からないから嫌い」と海外に出て行ってしまいます。 だから日本の国にはテレパシーが使えて,阿吽の呼吸が通じる人ばかりが集まってきます。

インタビュアー: だから,自分の気持ちを言わない学生さんになるのですよね。

新山王先生: そうです。だから逆に今度は分かろうとしないといけないです。大学を卒業して出て行ったら, 分からないといけない側になるのですから。日本人の曖昧なものということで,今は悪い意味にとられますが, 良い意味も持っていて,お互いにそれを許し合う場面があればいいですね。
 音楽もそうですよね。お互いに許し合うものが必要です。 極論なのですが,小学1年生から高校3年生まで1時間目と最後の時間は音楽の時間にすればずいぶん変わると思いますよ。 朝登校したら,みんなで元気よく歌う。最後のおわりの会のときにみんなで歌って気持ちよくさよならする。ずっとやっていたら ずいぶん変わると思うんですけどね。

インタビュアー: 今でも愛教大の附属名古屋中学校では朝と帰りに合唱していますよね。

新山王先生: 素晴らしいですよね。あれは是非続けてほしいです。思春期の一番内に籠もる時に, あの経験をするというのが素晴らしいです。附属岡崎中学校でもやっていますし,他の附属学校でもやっているところがあります。 ただ残念なのは附属の全ての先生がその意味や効果をきちんと理解していないことです。 ただきれいに歌う,というだけはありません。あなたが見ているピンクと私が見ているピンクが実は違うというのと同じように, みんなそれぞれ聴き方は違うのだけれども,それを共有するということがすごく大きいのです。 数学や算数のようにこれが正しいという絶対的な答えはありません。絶対的な答えが無い中で,自分なりの答えをまず設定する。 でもそれはみんなバラバラだから,お互いに口に出して言い合って,曖昧な中でもこっちのほうが良いという方向性を仮定した上で, それをみんなで共有しながら進んでいく。曖昧な中でもある一定の方向があるという体験できるのは, やはり音楽だけかなあと思っています。美術もそれに近いものがあると思うのですけれどもね。

インタビュアー: 芸術系はそうなのでしょうね。でも,数学や理科でも数学や理科の「教育」ということになれば, 色々な生徒さんがいるから1か0かでは割り切れないでしょうね。

新山王先生: 割り切れないはずですよね。生きている人間を相手にしているのですから。 指導案の理論通りにならないことを楽しむくらいの余裕がないと難しいですよね。子どもは教科書どおりに動かないのですから, その時に先生がどう動くかを大事にしないといけないのです。

 学生に伝えたいのですが,音楽の授業はただ歌っているだけではないのです。子どもはただ歌っているだけかもしれませんが, その中であらゆることが起こっているのです。それを先生が知っているか知っていないかで,ものすごく違うのです。 先生が自分で歌ってみせるかどうか,ピアノで伴奏できるかどうか,そんなことはたいしたことではないのです。 ただみんなで話し合いをすることで子どもがどう変わっていくか,それを知っているだけでものすごく違うのです。 そうでないと,CDをかけて歌いなさいってことになってしまいますよね。みんなで話し合いをすることで, 12歳13歳の子どもたちの中で何が起こっているか,それを経験するかしないかでどれだけ違うのか,ということです。 最終的にはテレパシーが使えることになるのが目的ですから。相手の気持ちになってというのはそういうことなのです。 意見を言い合ってバトルするだけではありません。理解しあう,譲り合う,でもこれは譲れない, 何故かということを相手に伝える。そういったことを音楽の授業でしているのです。 だから私は音楽が本当に大事だと思っています。そして,他の教科の方も同じくらい自分の教科が大事だと, お互いに言い合ってほしいと思います。

■ これからやりたい研究テーマ

新山王先生: 研究テーマで今自分が一番やりたいと思っているのは,なぜ音をきいて感情が湧き起こるのか,ということです。 いわゆる音響現象ですよね。音が高くなったり低くなったりして,それがただ繋がっているだけなのに, 何故色々なものを思い浮かべて涙が出てきたり,元気が出てきたりするのでしょうか。不思議ですよね。 うちの学生は音楽が好きですので,音楽を聴いて,例えば自分の過去の経験など,色々なものに結びつけることができるけれども, 絵を見てもその価値が分からないといいます。これが絵の素晴らしさなどを勉強していくと,1枚の絵を見ただけで いろいろな感情が湧き起こってくるようになると思います。ということは今音楽を聴いて心が元気になったり,悲しみを共有できたりというのは 幼少期に音楽を勉強しているからなのです。そうでなければ,音が高くなったり低くなったりしてこれは何なの,ということになります。 音楽というものをみんなで勉強しているから色々なものに結びつけて考えることができるのでしょうね。

■ リポジトリに一言

新山王先生: 論文をリポジトリに掲載するようになって,本当に変わりました。 大学紀要が紙媒体だけだった頃と比べて反応も早いですし,より広い範囲の人から反応が返ってきます。 直接問い合わせがくることもありますし,学会で発表する時にも,そういうものをお読みになってから来られる方が多いので, 質疑応答でつっこんだ内容のことがでてきたりします。
 誰から見られるかも分かりませんし,すごい方が読んでいたりして,以前と違った緊張感がありますね。
 推薦入試を受ける高校生も読んでいるようです。音楽だけではないと思うのですが, 愛教大を受ける人が先生になるんだと志望動機をはっきりして受験しに来てくれます。そういう点でもいいことですね。

インタビュアー: そういうお役にたてていると思うとうれしいです。本日はありがとうございました。


(インタビュー・まとめ)愛知教育大学情報図書課
   電子資料担当係長 古田
(写真)  情報図書課 課長 伊藤



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